回文春秋

回文と鑑賞

回文もどき その1

 

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以前書いた文章を整理していて「回文風だが回文になっていない文」の例をいくつか見つけた。
当時は「これからも少しずつ書いていきたい」と書いていたが、その後すっかり忘れていたので、久々に作ってみた。
作ったというより、回文にならないようにわざと失敗してみたという、何とも珍しい創作態度である。

 


 向田邦子に管、埋め込む
(むこうだくにこにくだうめこむ)

 


 石狩鍋、べたべたになり食べた歯科医
(いしかりなべべたべたになりたべたしかい)

 


 美智子様、もこみちと道で草餅食う小道
(みちこさまもこみちとみちでくさもちくうこみち)

 


 アルキメデスデスメタルきめる「アー!」
(あるきめですですめたるきめるあ)

 


 ギャートルズも飼うかも?ズールー族と山羊
(ぎやーとるずもかうかもずーるーぞくとやぎ)

 


 意外だ!コンビニで流行るや?派手なビンゴ大会
(いかいたこんびにではやるやはでなびんこたいかい)

 


 巡り会いのITメディア、愛でめくるめく酩酊の久米
(めぐりあいのあいていめでいああいでめくるめくめいていのくめ)

 


パッと見た感じではいつも作っている回文と似ていて、そのくせ逆から読んでみると少しも回文になっていない。

何だか自分で自分の物まねをしているような、奇妙な感覚を味わえる。車を運転して、わざと電柱やガードレールに衝突しまくるような感覚というべきか。

ただでさえ「回文」という微妙なジャンルを扱っているのに、これは回文とアナグラムと自動書記の中間にあるような、何とも微妙で奇妙な領域である。

たまたま松岡正剛の新刊も「擬(もどき)」をテーマにしているようだが、この回文もどきは、これからも少しずつ書いていきたい。

 

擬 MODOKI: 「世」あるいは別様の可能性

擬 MODOKI: 「世」あるいは別様の可能性