回文春秋

回文と鑑賞

帰ってきた回文春秋

以前書いた回文を読み返しているうちに、回文作りにまた意欲が湧いてきた。

 

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このブログを放置しておくのはもったいないので、不定期ながら再開することにした。

 

思うに回文作りには、普通の創作とは異なる性格があって、ただ「任意の言葉をひっくり返して、意味が生じるかどうか」を淡々と実験的に繰り返しているような、そういう「作業」の要素がたいへん多い。

ところが、出来上がった完成品には紛れもなく、自分の個性が他の創作物のようにはっきりと刻印されている。恥ずかしいほどに自分自身である。

で、今朝起きたら、ツイッターモンテーニュBotがこのように言っていた。

 


なかなか意味深である。

自分自身でない何かを材料に、自分自身であるような回文を作るという行為は、はたして自分の奴隷になることなのか。あるいは主人か、友か。いずれになるのだろうか。

あるいはそれ以外の何かであるなら、何なのか。